徳島堰は、
江戸時代に江戸深川の「徳嶋兵左衛門とくしまひょうざえもん」さんが
自分のポケットマネーで水路を開削し、荒地の新田開発と山梨、長野、静岡を舟で
結んでしまおうというビッグプロジェクトを立ち上げ
今から約340年前の1665年(寛文5年)2月に工事が始まりました。
しかし当たり前ですが、一個人の私財で完成できるような代物ではなく
なんとか2年後の春には旧白根地区の飯野南橋まで通水させたのですが、
この年に
兵左衛門は、工事から突然手を引き行方不明になってしまっています
道半ばとはいえ、灌漑用水路としてはほぼ真ん中まで通水できる状態になっていたのに
これから水が流れれば、地域の住民から灌漑用水の負担金が入る段になって
突然行方不明
これには
完成後の利権を幕府がのっとるために金を握らせて追い払っただの
暗殺されたんではだの憶測がありますが
ともあれ船を通す水路は難しいにしても、
灌漑用水路としては充分に機能できる堰が半分まで完成したので
その途中までの地域を潤す灌漑用水として
その工事の継続を甲府の城代が責任者として行いました。
民間の事業を、官が引き継いだわけですね
「おいしいところだけさらっていったようなもんです」
さらにその工事を、地元の地主である矢崎家に押し付けました。
まあ矢崎さんにとっては、水の少ない地元に水を持ってくる工事ですから
喜んで引き受けますわね。地元大歓迎です。
でもその費用を、幕府は
矢崎家に借金させて作らせたんですね
矢崎家は堰の完成後きちんとその借金を完済しているそうです
「返済を待ってくれ・・とかいう文章もあるみたいですが」
つまりこの堰はほとんど
民間資本で作られた用水路なんですね。
だからこそ過剰投資も、業者へのリベートもなく今でも立派に機能してます。
ちなみにこの徳島堰の水は、富士川上流釜無川の、韮崎市円野地区から取水していますが
この上流が、ミネラルウォーターで有名な南アルプスの天然水のある
白州地区になります。また上流の武川地区は山梨で一番おいしい米どころなんです
つまり、
南アルプスの果樹園は、山梨で一番おいしい水を使って栽培されています
先人の苦労に感謝。